まがたま研究会

勾玉の歴史からお土産物まで!

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勾玉の歴史Ⅳ

         古代人はどうやって作ってたの?
              magatamakens.jpg

縄文時代は、竹や骨で砂を使って何年もかかって作っていたようです。基になる石を、たたき石(ハンマーストーン)である程度型どり、あとは砂でひたすら削っていたのでしょう…。問題なのは穴で発掘される勾玉の穴はつつみ状><に開いているものが多いようです。これは先のとがったきりのような物で両面から開けているのですが、この方法では、石を裂く力が働くので割れやすくなるため、力を入れずに何日も何日もかけて削ったようです。
ちなみに現在の穴の開け方は凸なダイヤモンドのやすりを電気ドリルを使って穴を開けるのですが、1つ穴を開けるのに、めのうという石で1時間半、ジャスパーで3時間、また、石によっては5~6時間かかるのもあります。
弥生時代に入ると石で作った針が発掘され、弥生時代末期には鉄の針を使っています。古墳時代になると、道具もいろいろ充実し、砥石(トイシ)も使われるようになってきます。(写真) その砥石を日本中から集め用途にあわせ使われています。
少し話は戻って穴なんですが、前に紹介した勾玉以前に出土される大珠全国で約200個出土されているもののほとんどの穴が□(まっすぐ)掘られているのに、
勾玉は><(つつみ状)なのはなぜか?これも謎の1つです。
いずれにせよ、膨大な労力をかけ石を削っている事実は厚い石への思いを感じさせられます!!!!!!
naoki 
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コメント

建国の考古学

いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な出雲の青銅器時代がおわり四隅突出墳丘墓が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と安来の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。

  • 2008/10/13(月) 13:03:21 |
  • URL |
  • 山岸 #-
  • [ 編集 ]

意宇郡安来郷近辺

 出雲の国ではとくに東部(島根県松江市、八束郡東出雲町、安来市)に勾玉の製造遺跡が偏っていますね。この出雲東部は出雲風土記の時代は意宇群と呼ばれていました。ここでは、国引きの神話が語られていたことが風土記の載っていますが、一方、古事記などで現れる国生みの神イザナミ神の伝承もこのあたりにあり、イザナミの神陵といわれる比婆山神社が安来にあったり、黄泉との境目といわれるところが東出雲町の揖屋神社ちかくに黄泉比良坂という神蹟として残っています。国土形成にかかわる神話が集中しているようにも思えるのですが、勾玉との関連があるのでしょうかね。

  • 2007/10/13(土) 20:39:25 |
  • URL |
  • 山科弥生 #-
  • [ 編集 ]

宿題にとっても便利でした。

  • 2007/08/22(水) 16:33:40 |
  • URL |
  • ゆ~チャン #7ng5PFxo
  • [ 編集 ]

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