まがたま研究会

勾玉の歴史からお土産物まで!

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楯原神社

2005年10月16日、記念すべき初めてのまがたま研究会フィールドワークで、大阪市平野区喜連にある楯原神社へ行きました。
今までに何度かお話に出てきた十種神宝(トクサノカンダカラ)が実は、その楯原神社にあるという情報をキャッチしたからです!
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社横の立て札書きに拠りますと・・・
永禄年間(1558年~)足利義昭が征夷大将軍となったが、当時実権は織田信長に握られていた。義昭は法隆寺、石上神宮、大徳寺、根東寺などに呼びかけ、反信長勢力をつくろうとしたが、信長はそれに対し、神社やお寺を潰した。石上神宮も焼打ちにあう。このとき、十種神宝は持ち去られたが、保護されており、それを知った豊臣秀吉が生魂の森深くに納めた。
その後、倒幕直前の混乱のとき、暴徒に襲われ、十種神宝は再び持ち去られた。
しかし、その後小林某と言う人が、町の古道具屋に売ってあるのを見つけ、これを買い楯原神社におさめた。
また、石上神宮の守護職を歴代勤めている庄司氏が返還を求めてきたが返さず、現在に至っているとのこと。

楯原神社の宮司さんに、「この中に十種神宝が祭ってあるのですか?」と問いかけたところ「十種神宝は物ではなく神であり、形のないものなのです…。」との答えがありました。
形のないもの…?
では・・・古道具屋さんに並んでいたのは何???

私はそのお社の横にある黒い石(写真下)がとても気になりました。
いわれを聞くといわれも名前も何もない石の神さんです…との答え。
どれほど多くの人が触れたのでしょうか?ツルツル、ピカピカでした。この石に触れる人は何を思いこの石に触れるのでしょうか?
それがとても気になりました。    naoki
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勾玉の歴史ⅩⅤ

勾玉に代表されるひすい

日本国内で発見されるひすいの勾玉や大珠などは、江戸時代から知られていたそうです。
現代ではこれらのひすいは新潟県の糸魚川や青海地域のものであると分かっていますが、昭和初期までは大陸から渡来したものと考えられていました。と言うのも、日本国内ではひすいがないと考えられていたからです。1939年6月糸魚川病院に勤務していた小林総一郎院長が糸魚川小滝で緑色の石を義兄である東北大学の河野先生に鑑定を依頼し、ひすいであることが判明し、1939年の岩石砿物砿床学という学術雑誌に掲載されました。
ところが当時、戦争の為ひすい発見のニュースはほとんど注目されませんでした。
第一発見者というと地元ではひすいと知らず、古くからつけもの石にしていた例もあり、さまざまな説があります。
この発見以来、日本の考古学は勾玉や大珠は日本独自のものであるとされるようになりました。
ひすいの成分は、ナトリュウム、アルミニュウム、ケイソ、酸素の4種が主で、緑色のものはクロム、青紫色はチタンを含むもので、硬さは硬度、6~7(水晶で7)とそれほど硬くはないのですが、割れにくさでは、岩石の中ではトップクラスです。加工するのも他の石よりはるかに時間がかかります。その硬いひすいの生い立ちは約3億5千年前、地下20Km~30Kmでできたと考えられます。
ひすいができるには300度から400度の低温と高い圧力が必要なのです。長い年月をかけ、今目にすることができるのです。

ひすい漢字で書くと翡翠となり、これはカワセミと言う鳥の雄と雌をそれぞれ表しています。翡は橙、翠は緑と言う意味がありカワセミの羽根の色に似ていることから中国で翡翠と呼ばれるようになったそうです。ひすいは緑色と思いがちですが、外国で採れるひすいには橙色もあり、その名がつけられたのでしょう。
naoki
 

ダイヤモンドの恋

先週放送は終わってしまったのですが「ダイヤモンドの恋」
というドラマがNHKでやっていました。

その中で勾玉がでてきました。
会員の中で見られていた方とあの勾玉は、アクアマリンだ
と話が一致。

実は、会長のところにNHKのプロデューサーから連絡が
あり、資料を紹介して欲しいとの話があったとか・・・。
会長の紹介した本は、ドラマで活かされていたのかは
わかりませんが・・。

吉田栄作さん扮する柏原量平さんが
「勾玉は、1000年以上この形がかわらないんです。
不思議だと思いませんか?」
というせりふが私は、とても印象に残りました。

興味のあるかたは、
http://www.nhk.or.jp/osaka/guide/diamond.html
をご覧ください。

by うさぎ

ちょっと寄り道 パート2 大麻について

勾玉の穴は、やっぱりどう見てもひもを通していたと思いますよネ~!!!金属はまだ使われていない時代からのものですし、みすまる(玉を連てつくったもの)にするのでもやはり、ひもは必要ですよね~。どんなひもが使われていたのでしょうか?
考えられるのが、絹、麻、綿。

絹の生産は、5千年以上前の中国で始まっています。シルクロードの名前からも絹の貿易は盛んでした。日本にも弥生時代には伝わっていましたが、量はそれほど多くなく、出土例もそんなにありません。

綿が日本に入ってくるのは平安時代799年コンロン人(中国西部山岳民族)によって伝えられました。勾玉の時代にはまだありませんでした!

麻は日本では太古の昔から使われていました。日本で一番最初に栽培された植物ではないかと考えられています。
福井県の鳥浜貝塚では1万2千年前の麻の繊維や種が出土されています。日本の古代人の麻への思いは特別なものがあり、天照大御神の御印とされ、邪気を払い除けるおはらいの用具(ぬさと呼ばれ神主さんが手に持って振るもの)として古くから使われ、また伊勢神宮から授与される神符、神札も「神宮大麻」と呼ばれ、大麻が使われています。
ここで大麻と書きましたが、麻と大麻は同じものなのです。麻には色々な種類があり、RAMIE(苧麻 チョマ)LINEN(亜麻 アマ)などは衣類にもよく使われているので聞いた事があると思います。が、ここで出てくる大麻(オオアサHEMP)とは「タイマ」のことなのです…。
そうです、あの、麻薬と同じものです!
タイマと聞いただけで、おそろしいと耳を閉ざしてしまう人も多いと思いますが、この大麻の歴史を調べていくと大きな誤解があることに気付きます。
先に書いたように、米よりはるか昔から栽培され稲が入ってきてからも米よりも良い条件の土地で作られていました。
衣服、食用として、また燃料としての油も取られていました。大相撲の化粧回しや神主さんの衣、弓の糸など神聖な物に使うのはすべて大麻なのです。
ところが敗戦後、アメリカ占領下GHQものとで1948年大麻取締法ができたのです。
1950年に25118人いた大麻農家は4049.2ha、1996年には102人となり12.4haに激減していきます。
現在大麻を作っている農家は、神事用の麻または、研究用のみとなっている様です。
日本の大麻は人体には害はないと言われています。
1950年以降は衣類は化学繊維となり、燃料は石油ほとんどの容器包材は石油製品となってしまいました。
大麻を作る事を規制された日本は大量の資源を海外から輸入しなければならなくなったのと同時に自然環境の破壊が始まってしまいました。
話がどんどんそれてしまいましたが、麻は何か特別な力を持ったものであった事は間違いないと思います。勾玉のひもも大麻(オオアサ)であった事は間違いないと思います。
naoki

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