まがたま研究会

勾玉の歴史からお土産物まで!

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神道家の先生によると・・・

お久しぶりです。
KIRIさんの勾玉の方は・・・何故かどんどん細くなって行ってます(‥ゞ
形も、イメージしていたものからどんどん離れて行っているのですが、どうなってしまうことでしょう(^_-)
多分、本人も何時間磨いたか覚えていないはず。次にレポートできるのは何時になることでしょう!!

最近naoki会長にばかり記事をアップして貰っているので、ここらでちょっと最近読んだ本の中から、まがたまの記述を少しご紹介します。

本の題名は「古神道入門」著者は今年お亡くなりになられた小林美元先生。
下記は『宇宙の法則を象徴する三根元神』と言う項の中から抜粋です。

 宇宙のあらゆるもの、太陽も月も地球も、その他の惑星も球形です。宇宙間の一つの現象としては神器を表現するのは全て玉で表現されています。
 その玉を超古代から古神道では勾玉と言う形で表しています。これは太陽の球形と、上弦、下弦の月というように三日月の形、この日月を合体した象形が勾玉になっているわけです。
 さらに、スパイラル運動をしている宇宙の法則を表現するものとして、勾玉と穴の開いた菅玉をつなぎ合わせて三種の神器の一つである八坂瓊勾玉という首飾りを作っています。

日月の形・・・、何となく納得できるような出来ないようなf^_^;
でも、古代から古神道では、ちゃんと太陽、月、地球、その他の惑星がちゃんと球体で在ったと言うことを知っていたって♪
大地が真っ平らで、不動のものではないってことが判ってたんだ!!
ご先祖様達・・・なかなか凄いかも~!!
neko
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ちょっとここらで寄り道…「塩」

今までは石にばかり着目してきましたが、今回は生活の必需品「塩」について考えてみました。
塩は空気や水をもとに人類が生きる為には欠かせないものです。塩を作る歴史は人類の歴史とともに始まったとも言えるでしょう。
日本では岩塩や塩湖などがなく、海水から塩を作るしかありませんが、雨の多い気象条件のため、天日製塩は出来ず、原始時代では藻塩焼(モジオヤキ)と言う干した海藻を焼いて灰塩を作ったのが始まりで、時代が進むと、この灰塩に海水を混ぜこれを煮詰めて塩を作るようになりました。
この時に使う土器が各地から出土されます。
縄文時代後期(B.C.1100)以前のものが茨城県で出土され、縄文晩期には青森、岩手、宮城で出土されますが、弥生時代前期に入ると、瀬戸、淡路、大阪南部、和歌山と移り変わります。
九州での出土は古墳時代前期(A.D300)になり、かなり新しい時代でしか出土されません。
この塩を作る文化の移り変わりだけを見ると、関東→東北→近畿→北九州となります。
勾玉の出土の移り変わりも、これにとても似ています…!これは何を意味するのでしょうか?
古事記では塩推神(シオツチノカミ)、日本書紀では塩土老翁(シオツツノオジ)と書かれている神が塩を作ったとされます。
宮城県塩釜市にある塩窯神社に祭られています。
日本書紀に記された一書によると、事勝国勝長猍(コトカツクニカツナギサ)神が別名塩土老翁でイザナギの子であるとされています。
この神は、日本書紀、古事記に、たびたび登場し、呪術的な事を行った神のようです。
naoki

勾玉の歴史ⅩⅣ

これまでにミスマルという言葉が何度か出てきました。
このミスマルとは多くの 玉を連ねたものと解釈されています。
では、仏教で使われている数珠との関係はあるのでしょうか?
数珠の起源は「仏説木槵子経(ブッセツモクゲンジキョウ)」に書かれています。
モクゲンジとはムクロジ科の落葉高木で、その種子を数珠玉に用いられたそうです。そのお経の中に書かれている内容にお釈迦様が霊鷲山(リョウジュウセン)におられた時に波流離国(ハルリコク)からの使者にモクゲンジの実を108コ連ねて、これをいつも持って三宝(サンポウ)(仏陀の名、法の名、僧侶の名)を唱えなさいと言われたのが念珠の起源だとされています。
しかし、実際の起源は相当に古く、仏教より古い「火天教(ゾロアスター教)」にも同じような物があり、キリスト教、イスラム教にも酷似した法具があります。と言うのも、ゾロアスター教は今のイランにあたりで、紀元前13世紀頃、開祖ザラスシュトラによってつくられ、紀元前7世紀まで栄えていました。その影響はユダヤ教、キリスト教や初期の仏教にもあると考えられています。
日本に仏教が入ってくるのは538年頃。
それ以前にすでにミスマルはあります!
ということはミスマルと数珠とは直接関係のないものと考えられます。
それではゾロアスター教の使っていた玉を連ねたものとの関わりはあるのでしょうか?
ここで着目すべき事は、ゾロアスター教の考え方です!
ゾロアスター教は唯一神つまり神は1つで絶対的なものと考えられていますが、日本の古神道では八百万の神という表現があり、多くの神がいます。
この大きな違いを超えて、同じ法具として、玉を連ねたものを使うとは考えにくいと思います。
と言う事は、数珠、ミスマル、ブレスレット等、玉と連ねたものは世界中で自然発生的に作られたのではないでしょうか?
色んな民族が、各地で、各宗教で、自然と身に付けた古代の神仏のための道具。
「ただの飾りではない」と再度考えさせられます!!!
naoki


 

勾玉の歴史ⅩⅢ

勾玉の使われ方④
古事記、日本書紀で最初に出てくる石の飾りらしきものは高天原(タカアマノハラ)に住んでいた、イザナギとイザナミの神が天の沼矛(アメノヌボコ)と呼ぶ棒を使って海をぐるぐるとかき回し出来たのが兵庫県淡路島の横に浮かんでいたらしい「おのころ島」!!!
このアメノヌボコに玉が飾られていました。
この棒は言依さし(コトヨサシ)の印として授ける聖器と考えられ、コトヨサシとは、委任すると言う意味。つまり、まかせたぞ…と神々がイザナギとイザナミにこの棒を印として渡した物でした!!!
ここに出てくる玉はどんな玉だったのでしょうか?

次に出てくる石の飾り物は、イザナギが国造りを終えたあと、身につけていた玉の首飾りをゆらゆらと揺らし、「あなたは、高天の原を治めなさい」と言いながら天照大御神にそれを譲ります。
この玉を御倉挙神(ミクラタナ)の神と言うそうです。
ここでもコトヨサシとして使われています。

他には、天照大御神が孫のニニギの命に「豊葦原(トヨアシハラ)の瑞穂(ミズホ)の国を治めなさい」と言いながら勾玉と剣と鏡を渡しています。
ここではただの玉ではなく、勾玉と表現されています。これが三種の神器なのですが、これもコトヨサシの意味ではないでしょうか?
何かを任せる時、石を贈る風習があったと考えられます。

勾玉が使われるのは須佐之男命(スサノオノミコト)が根の国に行く前に姉の天照大御神にあいさつに行こうとした時、スサノオが国を奪おうとしていると思いこんだ天照大御神が全身にたくさんの勾玉をつけています。
これはパワーアップの為?それともお守り?

天の岩戸開きの時にも勾玉が出てきます。岩に隠れた天照大御神に外に出てもらうため、「勾玉のみすまるの珠飾り」を木に取り付け、見せたようです。
天照大御神は勾玉が大好きだったようですネ!!!
naoki 

勾玉の歴史ⅩⅡ

勾玉の使い方③

rekishi12.jpg


rekishi12-1.jpg



写真上は、皇祖皇太神宮(茨城県北茨城市磯原町磯原835)に伝わる古代勾玉のネックレスです。
これには勾玉12コ丸玉36コ、中丸玉5コ、太玉6コ、管玉18コが使われています。
これを見て、海軍エリート技術将校で竹内文書の研究家だった矢野祐太郎(1881~1938年)は、古代の万能の暦を表していると考えたそうです。
勾玉の12は12ヶ月を表し、丸玉の36コは360日を10分の1で表し、中丸玉の5コは祭日で丸玉の360日と祭日5日を足すと、ちょうど1年の365日。
6コの太玉は春夏秋冬、冬至、夏至を表し、管玉の18コは星の運行を示すと考えたのです。
つまり、ネックレスは古代のカレンダー兼、古い計測器兼、スケジュール表等、様々な使い方ができると考えられます。
2000年前の建物も方位を正確に計算され建てられています。ひょっとしてこのネックレスを使って計測したのかも知れません。
でもここで、12コの勾玉!!!
12ヶ月を表すのに使われていると考えられていますが、「なぜこれが勾玉なのか?」が問題になってきます!!!
ここに出てくるネックレスは他の石はすべて丸であるのに、勾玉だけは特殊な形をしています!!!
「ひょっとして角度を測る為?」
勾玉の勾は(コウ)とも読み勾配(コウバイ)つまり角度を表しています。また、直角三角形の短辺のことを勾(コウ)と昔しは言っていました!!!
「太陽か月、または星の位置を角度で示しているのでは?」
・・・となると1つづつが少しずつ角度が異なっているはず…!!!
あ~~!!! 実物を見てみたい!!!
日本書紀、古事記に出てくる勾玉も、いきなりミスマル(石を連ねて作ったネックレス状)という表現で出てきています。最初から勾玉は12コセットだったのかもしれませんねぇ~!!!
八尺(ヤサカ)は大きいと言う意味と考えられていますが、365コの石を連ねると八尺(2m42.4cm)になったのかも知れません!!!
※写真下は現在国内最古(689年)のカレンダーです。

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