まがたま研究会

勾玉の歴史からお土産物まで!

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木の勾玉

kinomagatama

2005年8月28日、和歌山龍神町にある木族館と言う物産品店にて、木で作った勾玉のペンダントを発見♪
細かい面取りで仕上げてあって、なかなか可愛かったです。
neko
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勾玉の歴史 XⅠ

勾玉の使い方②

rekishi11.jpg

写真①

rekishi11-1.jpg

写真②

rekishi11-2.jpg

写真③

前回で勾玉は神のしるし、又は あかし…!!!と書きました。しかし、それだけではない!!! と思われる使い方をしている出土例があります。
その一つが、大阪府和泉市池上町にある池上曽根遺跡です。
南北1.5Km,東西0.6Km,総面積60万㎡と全国屈指の規模をもつ弥生時代の集落で、この中にある神殿(写真①)は紀元前50年ごろに建てられています。
石オノで切り出された26本の柱から成り立っていて、その1番前の柱の下から勾玉が出土されています。(写真②)
その勾玉は新潟産のひすいである事が判明しています。
時間と距離と手間をかけた一品!!!これをなぜ柱の下に埋めたのでしょうか?
26本の柱のうち、この柱だけが腐っていなかったと言われています。
次に奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡から出土された不老長寿の仙薬「禹余糧(うよりょう)」と言われる褐鉄鋼の中からヒスイの勾玉が出てきています。(写真③) 
これは、紀元前1世紀のものと発表されています。これも外からは見えてないのです!!!
勾玉は薬といっしょに出土される事があります。が、勾玉を薬として飲んだという記述はまだ見たことがありません!!!
ということは…?!
勾玉のパワーを薬に染み込ませようとしたのでしょうか?この時代は平均寿命が20才にもなっていません。しかし、この時代に勾玉や仙薬を持っていた人々…一番調べやすいのが天皇なのですが初代天皇から20代天皇までで100歳生きた天皇が12人、90代が2人居られるのです。
天皇長寿の謎は今も解けていないのですが、歴史学者達のなかでは、古事記、日本書紀は意図的に長寿をでっちあげたものではないとの考え方がほとんどです。
naoki

勾玉の歴史 Ⅹ

勾玉の使い方①
今上天皇と三種の神器で勾玉のことを神璽と表現していると書きました!!!
国の印を国璽、天皇の印を御璽と言う事に着眼すると、勾玉は神様の印鑑?
紙が世界で最初に作られたのは、B.C2500年エジプトのパビレスですが、あまり広がらず、羊の皮に変わっていきます。
次に紙が作られるのはB.C141年の中国ですが、文字を書ける程ではなく、文字が書ける紙としてはA.D105年の蔡候紙(さいこうし)と言われるものです。
日本に紙が伝わったのは610年、高句麗の僧(曇徴)が伝え日本で作られた最古の紙と考えられるのは正倉院にある702年のものです。
あまりにも時代が新しすぎる!!!
700年ごろには、勾玉は身に付けられていないので、紙に印鑑として押した物はないと考えます。
じゃ~・・・ 布は? 
布は縄文時代からあり、古事記、日本書紀にも出てきてますが、印鑑として押してあるものはまだ見たことがありません。そもそも、神が文を書いた物が現存するのでしょうか?
となると…。
「璽」を、「しるし」または「あかし」と考えると、勾玉(神璽)を身に付ける行為は「自分は神である!!!」 と言う主張であったと考えてみてはどうでしょう?
古代の日本ではすべての物に神が宿るという考え方があり、宇宙、大地、水、石、食べ物にも神が宿っていると考えました。
当然、人にも!!!
古事記、日本書紀を見ても神々はとんでもない事をしでかします。
戦ったり、すねたり、暴れたり、泣き続けたり、それでも神は神だったのです。
なんて書いちゃって叱られるかもしれませんね!
「ごめん、ごめん、荒ぶる神たち…」
私が思うのは人には(もちろん現在の人も)その中に神聖がある!!!

どんどん話がそれそうだから、今回はこれにて…
naoki 

私見、勾玉の形

「きりぎりすの勾玉彫り」なのですが、なかなか進んでいません(^^;ゞポリポリ
途中で、ねこの私物の弱った勾玉の磨き直しなども平行していてなかなか進まない。
それというのも、やっぱり形が気に入らないため。
磨いてはまた削り、削ってはまた磨くを繰り返しているわけです。
勾玉って、ほんの少しのラインの狂いが命取りなんです。
それまで、「わ~っ、ムッチャ可愛い!!」だったものが、ほんの少し削り間違えただけで「ナニッ!な~んか変だよ~」になっちゃう訳です。
それまで気づかなかった若干のへこみが、磨くことによって目立ち、もう一度削り直した時なんかに良くそう言うことになりますね~(^^ゞ
気に入った形で、綺麗に光るまでは、まだまだかかりそうです。

きりぎりす君が、勾玉を磨きながら見つけた勾玉の形についての「説」。
目を虚空として見て、虚空(何もないところ)から小さく渦を巻いて始まり、大きな渦となって広がっていく。
そう、宇宙の成り立ちを顕わしているんではないかって!!
暇があれば、ずっと勾玉を触って、磨いているからこそ「感じた」のかも♪
neko

勾玉の歴史Ⅸ

八尺瓊(ヤサカニ)の勾玉
勾玉の歴史を語るには、このヤサカニのマガタマを語らぬ訳にはいきません。日本書紀、古事記でいちばん初めに勾玉と表現しているものは、この八尺瓊勾玉になります。
スサノオの乱暴に怒ったアマテラスが天岩戸に引きこもってしまった時、世の中が真っ暗になってしまいます。そこで、神々が集まり策を練り、その中の1つに玉祖命(タマノヤのミコト)が八尺の勾玉の五百箇(イホツ)のミスマルの珠をアマテラスへのプレゼントとして、作ったそうです。つまり、現存する文献上ではタマノヤが世界で1番最初に勾玉を作った人…(神)?と考えられます。
そこで、八尺瓊勾玉とは どんな物だったのでしょう?
八尺とは(1尺…30.3cm)2m42.4cm…とでかすぎる!!!
八尺は大きいと言う意味だけでとらえるか?
前に書いた様に勾玉は漢字が日本に定着する前からあるもの。
つまり、漢字は当て字であると考え、発音で考えると
   ヤ…全てが良い、勢いがある   
   サ…災が去る、栄える    
   カ…陽気盛ん、神の力   
   ニ…陰陽相並び、物の生まれようとする人と和して大きな喜                            となります。
マガタマの意味は前に(名前の由来)で書いています。
ところが…、前文の八尺の勾玉の五百箇のミスマルの珠という文を考えると、五百箇はたくさんのという意味、ミスマル(御須麻流)は多くの玉を貫いて輪にすることから考えると、八尺とは大きなという意味にとるべきなのでしょうか?疑問は果てしなく広がります。
気になることがもう1つ。
古事記には「八尺の勾玉」となっていて瓊の字が入っていない。
日本書紀では「瓊」が入っているのに、古事記には入っていないのです。
この瓊には赤く美しい玉という意味があります。
すると赤いメノオの勾玉だった?そんな??
前にも書いたように、古代ほどひすいにこだわり、ひすいの勾玉がほとんど。
古墳時代になり、やっと水晶や赤メノオの勾玉が出土されるのに、一番最初に文書として出てくる勾玉が赤メノオだなんて考えられない!!!
となるとやはり、あて字?誰かこの謎を解いて下さい…!
naoki

高校野球出場校の校章

先日ぼーーーっと高校野球の中継を見てましたら勝った
高校の校章に勾玉が・・・。

『青森山田高校』でした。

こちらの高校のHPとか見たのですが由来とかは、掲載
されていませんでした。残念。

でも近くで縄文時代の遺跡が見つかっているらしいです。
そんな関係でしょうか?

by usagi

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