まがたま研究会

勾玉の歴史からお土産物まで!

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きりぎりすの勾玉彫りNo6

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この段階でNo5の形から削ること14時間です。
工具はNo5と同じグラインダーだけ。
まだまだこれからシェイプさせていきます。
先は長いぞ~(^_^;)
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きりぎりすの勾玉彫りNo5

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少しずつ形になってきましたよ!
まだ、角はついたままですがf^_^;
ここまで、約10時間。

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使った工具は、ティアドロップ型のヘッドと棒状のものをグラインダーにつけました。

宝塚・・・

宝塚で昨年「スサノオ」という作品と「飛鳥夕映え」という
作品を上演していました。

「スサノオ」は、古事記にでてくるスサノオです。
( ̄^ ̄)ト-ゼン勾玉をつけて出てらっしゃいました。
小道具なのでとある関係者の方にお聞きしたところ
本物ではないそうですが・・・。
勾玉の変わり物かなって思うようなものをヤマタノオロチ
がつけてました・・・。

飛鳥夕映えは、蘇我入鹿のお話なのですがそこに
瑪瑙というお姫さまがでてきます。そのかたが
メノウの勾玉をつけてでてらっしゃいます。

写真を載せてみたいのですが著作権の関係上難しいので
宝塚のHPか宝塚ショップで売っているプロマイドまたは
歌劇とかグラフという専門雑誌もあります。ちょっと
バックナンバーになるので普通の書店では見れないかも
しれませんがそれ等を色々あさってみてください。

ちなみに雰囲気だけ・・・
tk.jpg



By  ̄(=∵=) ̄

きりぎりすの勾玉彫りNo4

magatama4-2s.jpg
一番大切な穴開けです。2時間半ぐらいかかりました。
最後にやって、失敗したら元も子もないので、だいたいの形が見えたら、良い場所に開けましょう!!
プロは両面から開けるそうですが、途中で出会わなかったら怖いので、片面から貫通させました。
この方法だと、最後の段階で石が割れることがあるそうです。
が、今のところ(4個作った段階)私は割ったことはありません(^^)v

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工具はグラインダーに、先がティアドロップ型のダイヤビットをつけています。

きりぎりすの勾玉彫りNo3

magatama3-2s.jpg

面取り、ここまで5時間かかっています。
かなりの騒音!!
歯医者嫌いの人には絶対無理(>_<)

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これが工具になります。
ハンドピースグラインダーにダイヤモンドつき円盤形の刃をつけています。


きりぎりすの勾玉彫りNo2

magatama2s.jpg

最初に鉛筆で勾玉の形を描きま~す。
なるべくロスが出ないように、それと、出来上がりの形をイメージするのが大切です。
カットされた石の厚みなどもちゃんとチェックしましょう♪

勾玉の形って、本当に個人差が出るので面白いよ~!

きりぎりすの勾玉彫りNo1

magatama1s.jpg

おまたせしました!
まが研会員「きりぎりす」のまがたま造りです。
まず、材料はミャンマー産翡翠
サイズは33mm×50mm×11mm
これから頑張るぞ!

古事記の中の勾玉その4

    oheamanoiwatos.jpg
<写真は大江町の天岩戸神社>

「天の岩屋戸」
天照との誓約で勝ったスサノオのその後です。
「その3」でも少し書いたのですが、勝って有頂天になったスサノオが、高天の原で色んな乱暴狼藉を働いたわけです。
まぁ、最初は大目に見たり、庇っていたりしたアマテラスも、死人が出た段階で「も~!堪忍袋の緒が切れた!」と言う状態(^,^;)
古事記によると、「天照大御神、忌服屋(いみはたや)に坐(ま)して、神御衣(かむみそ)織らしたまひし時、その服屋の頂(むね)を穿ち、天の斑馬(ふちごま)を逆剥ぎに剥ぎて堕(おと)し入るる時に、天の服織女(はたおりめ)見驚きて、ひ(機の横糸を通す道具)に陰上(ほと)を衝きて死にき。」と書いてあります。
この死んだのが、機織りを手伝っていた他の女性なのか、天照自身だったのかが判断の分かれるところ!
まず、天照大神であるならば最後の「死にき」と言う言葉は使わない。
でも、その後天照は、神話の中で一番有名な「岩戸ごもり」をしちゃう訳です。
だいたいの学者は、天照自身が亡くなったと判断するようですが、そうなると、岩屋戸開きで復活するというのが、変な話になってしまうので、服織女が死んだという風に書いたのでしょう。
まず、天照大神と言うのは太陽神なので、その太陽が岩屋戸に隠れたことによって、世界が真っ暗になると書いてあります。
「ここに高天の原皆暗く、葦原中国(あしはらのなかつくに)悉に闇(くら)し。これによりて常夜往きき。ここに萬の神の声は、さ蠅なす満ち、萬の妖(わざわい)悉に發りき。」
ずっと夜になってしまったために、沢山の悪い神が出てきて、災いが起こったと言うことですね。
そこで、八百萬の神達が、天の安河原に集まって、いかに太陽である天照に岩屋戸から出て貰うかの会議をしたわけです。
その時の会議の議長のような人が「思金神(おもいかねのかみ)」・・・(知恵袋のような神様です)。
思金神の提案
① 常世の長鳴鳥を集めて鳴かす。(鶏を鳴かせて、朝が来たと勘違いさせて、太陽にお出ましいただこうという作戦ですね)
② 川上にある堅い石を取り、金山の鐵(まがね)を取る。(堅い石は土台にするためのもの。まがねは多分銅の原石)
③ 鍛人 天津麻羅(かぬち あまつまら)を探して連れてくる。(だいたい鍛冶師と言う職業軍団は定住していないので、まず探すことから始めるわけですf^_^;)
④ 伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に、鏡を作らせる。(鍛冶師が銅の精錬を行い、この伊斯許理度売命が型をおこしたのでしょうか?)
⑤ 玉祖命(たまのやのみこと)に、八尺の勾玉の五百箇の御統の珠を作らせる。(玉祖と言うからには玉造部の先祖ですね!)
⑥ 天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)に、鹿の肩の骨で占わせて、沢山の枝のある榊の上の枝に八尺の勾玉の五百箇の御統の珠を掛け、中程の枝に、八尺鏡を掛け、下の方の枝に木綿と麻の布を掛けた。
⑦ この榊を布刀玉命に持たせ、天児屋命が太詔戸言(ふとのりとごと)をのる。
⑧ 力持ちの天手力男神(あまのたぢからおのかみ)を、岩戸の横に忍ばせる。
⑨ 天宇受売命(あめのうずめのみこと)を、岩戸の前に桶を伏せたものの上で踊らせる。(この踊りが結構エロティックなもので、原文では「天の香具山の天の日影を手次(たすき)に繋(か)け、天の眞拆(まさき)を鬘(かづら)として、天の香山の小竹葉を手草に結いて、天の岩屋戸に槽伏せてふみ轟こし、神懸かりして、胸乳をかき出で裳緒を陰に押し垂れき。」となっています。

だいたいこんな作戦を立てたわけです。それで、⑧番の天宇受売命のストリップ(?)を見て、神様達がドッと湧いたわけですね。
それを岩屋戸の中で天照が聞いて「何してんねやろ?私が居なくてみんな困っているはずやのに」と岩戸を細めに開いて覗いたわけですね。
その岩の透き間から言うわけです。「何してるの?私が居らん様になって、真っ暗になってるはずやのに、ウズメちゃんは遊んでるし神さん達も笑ろうてるって!!」と大阪弁だったかどうかは判らない(..;)””> ポリポリ
ちなみに「天宇受売命は楽(あそび)をし・・・」と書かれていますが、本来「あそび」と言うものは神を楽しませると言う意味を持つものなので、今で言う「遊び」とはちょっと意味が違います。でも、遊ぶことを真剣に楽しむと、本来の意味の神を喜ばせ楽しませると言うことに繋がるのかも知れませんね(^^)v
そこで天宇受売命が答えて言うのに「あなたより尊い神様が来られたので、みんなで喜んでいるのです!」と・・・。
その後、天児屋命と布刀玉命がすかさず天照の目の前に鏡を差し出した。
そう、天照は日の神。鏡で自分の光が反射され、外が明るいと思ってしまったわけです。
そこで「これはますます変だ!」と思われて、もう少し岩戸を開けて身を乗り出して外を見たわけです。そこをすかさず、戸の横に隠れてスタンバイしていた力持ちの天手力男神が、天照の手を掴んで引っぱり出し、布刀玉命がその後ろに注連縄を張って「もうここから内に戻らないで下さい」とお願いした。
お願いしただけだと、無理だったのかも知れないですけど、神様って注連縄があるとそれを越えられないって言う性質があるみたいです。
だから、神社の注連縄も、もしかしたら本殿に鎮まって居られる神様が外に出て来れないように張ってあるのかも・・・。
まぁ、それは良いとして、とにかくそう言う策略で天照大神は復活を果たしたのです。
その後、その八百萬の神様達が、その騒動の元になったスサノオ命を裁判に掛け、罰金として沢山の台の上に置く供え物を出させ、胸まであった髭を切り、手足の爪を抜いて、高天原を追放したと言う顛末です。

この章で出てきたまがたまは、天照を引っぱり出すときに作った榊の上の枝に掛けた八尺の勾玉の五百箇の御統の珠。現在天皇家の三種の神器の中に入っていると言われている「八尺の勾玉」がこれではないかと言われているのですが、諸説あってこれも定かではありません。
とにかく、玉祖命と言う神様が居られ、玉を作る一族もしくは職業集団が居たと言うことは確かなようです。

う~ん、我が愛しのスサノオ様が、ここまでの話ではあまりにも酷い書かれ方
(/_;。) ウッウッウッ
でも・・・スサノオ様の名誉挽回の章にはまがたまが出てこない(。>_<。) えーん

そのうち筆者の趣味で「古事記スサノオ様の活躍・・・まがたま無いけど」で、ご紹介します(^^)v
neko

勾玉の歴史Ⅱ

                       まがたまの語源の謎 
古事記(712年)には勾玉、日本書紀には曲玉と書かれています。また、前回紹介した魏志倭人伝では句珠となっています。
いったいどの漢字を使えばいいのでしょうか?
マガタマは漢字が日本に入ってくる前のものであり、漢字はあて字として記されたと考えられます。現在では勾の字を使うことが一般的でこれは神道の考え方の中にまがるという意味を好ましくないと考えていた様で曲の字をあえて使っていないとの考え方が主です。(韓国では現在でも曲玉の字を使っています。)
では、漢字は日本にどのように伝わったのか?
漢字は中国では、B.C.2700年に作られ、B.C.221年に始皇帝によって統一され 広められました。叙福は始皇帝の命令により3千人を連れて、不老不死の薬を求めて旅立ち日本に来ています。この時に様々な文化を日本に伝えています。
漢字も使われているはずです!!! また、400年頃には王仁博士が千文字一巻、 論語十巻を日本に伝えています。という事は、400年すぎには漢字は日本に完全に定着していたにもかかわらず、712年、720年の古事記・日本書紀で異なった文字が使われているのは、ますます謎です!!!  天武天皇の妻・持統天皇は691年、2神社(大神神社・石上神宮)の古文書と16家の系図を没収し抹消したとされます。その後、現存される日本最古の書物、古事記、日本書紀が世に広まります。
 古事記:皇室や豪族に伝わる古い歴史を 稗田の阿礼(ひえたのあれい)に話をさせ太安万侶が記録し、712年元明女帝に献上した。稗田の阿礼は、藤原不比等であると言われてる説があります
 日本書紀:720年に舎人親王(とねりしんのう)が39年かけ国内の貴族や海外向けに書かれたもの                                                      
 いずれにせよ、漢字の意味とマガタマのもつ本来の意味とは異なっていると考えられますそして、発音から考えてみると古来では『マ』人の上に立ち名を知られる象とか、争いを避けるという意味に使われ、『カ』陽気盛んな象、運気強く神の助けあり等の意味があり、ピッタリ!!!!!! 
本当は「マタマ」ではなく、「マタマ」であったのではないので しょうか…!! また、古代サンスクリット語を調べるとマカとは優れていること・大きいこと・偉大なこと、 勝利の意味で他の語や人名の上に付いて美称として用いることもあるそうです。
 天照大神が、スサノオ命と戦いになりそうになった時、全身に勾玉を付けたのはこの
 「マ・カ」の意味を見るとよ~くわかります。
naoki 
 

勾玉の歴史Ⅰ

              勾玉の歴史 1   
 太古の昔、人々は獣や魚、貝類を削り穴をあけ、身に付けていました。
 それは当時、狩猟民族であった人々が、獣や魚の魂の呪いを恐れ
 またその精霊の力を自分の身に付けることにより守られると考えていたよう
 です。
 石を道具として使ったのは、約60万年前(石器時代)。また石を身に付ける
 風習は1万2千年前(北海道知内町湯の里の遺跡)からありました。
 中国からは7000年~6000年前から石の装飾品が入ってきています。
 (福井県金津町桑野遺跡)
 現在、日本最古とされる翡翠のペンダントは、山梨県北巨摩郡大泉村天神
 遺跡出土(縄文時代前期・後半)で長さ5.5cmで、ひすい大珠とよび全国
 で約200個出土されますが、北陸、中部、関東で全体の約70%縄文時代 
 後晩期には九州に出現しますが、近畿・中国地方では出土例はまだありま
 せん。
 ひすいのペンダントは約3500年前の沖縄県の兼城上原遺跡からも出土され
 その翡翠の産地は新潟県糸魚川産のものと判明しました。穴もしっかりと開け
 られたものが1500Kmの旅をしたのですね~
 大珠は縄文時代の中期に75%後期には20%と急に少なくなります。
 この頃から勾玉がでてきます。縄文時代晩期の遺跡からは良質の翡翠
 製品がほとんどの遺跡から出土されるのに対し、弥生時代に入ると急に出土
 されなくなり、また弥生時代中期になると、また数多く出土されます。これは
 銅や鉄などを輸入する為、翡翠製品や勾玉を交易品として使ったと考えられ
 ます。
 魏志倭人伝(三世紀前半の日本の事が書かれている)にも出てきますが、
 邪馬台国のち王・壱与(卑弥呼の次の女王)が、人間30人、真珠5000個
 勾玉2個を魏の王に貢ぎ物として送っています。この例を見ても勾玉はとても
 高価なものであった事がわかります。
 美しい翡翠の勾玉は、北九州に多く出土され、それは縄文時代の形と同じで
 ある事が多いそうです。勾玉の出土を調べていくと、物の流れや文化、権力
 の移り変わりが分かってきます。大珠が近畿・中国地方から出土されないのは
 近畿・中国地方と関東・中部・北陸地方の部族とは異なった部族だったのでしょ
 うか?はたまた、近畿・中国地方で大珠を勾玉に加工しなおしたのでしょうか?
 多くの謎が残されています。皆さんはどう思われるでしょうか?
naoki

翡翠の不思議

まがたまと言ったらやっぱり翡翠。
多分三種の神器のまがたまもきっと翡翠。
翡翠の翡はカワセミの雄で、翠はカワセミの雌のことだそうです。
きっとカワセミの羽根の色のような石と言うことなのでしょう。
日本では糸魚川で上質なものが採れるようです。
インド翡翠、台湾翡翠などと呼ばれているものは軟玉で、御神宝などに使われているのは硬玉。

まがたま研究会の会長は、Oリングテストで、その人に合ったパワーストーンのまがたまを選んでいるのですが、始めた当初翡翠の合う人が100人に一人ぐらいの割合で、他の石に比べると極端に少なかったそうです。
不思議に思って、色々試してみたら、どうも特別な石らしい。
まがたまでOリングテストをすると、方向によって力の入り具合が違うものなのですが、翡翠に関してはそれもない。
100人に一人の「翡翠が合う人」に色々アンケートをとると、自分がそうであったり親族に宗教関係の人が居たりと、かなりスピリチャルな血筋の人が多かったそうです。
そう、翡翠は古来より神様を降ろす石。
そして、色々試した中に、翡翠の持つ不思議な力も発見!!
まだまだ此処で発表は出来ないですが、かなりびっくりしてしまうような力を秘めています。

いつかは持ちたい「糸魚川産の翡翠」です(*^_^*)
「勾玉って何?」のところに張り付けてある勾玉の写真は、ミャンマー産の翡翠です。
ちなみに、紹介覧の黒バックの勾玉は翡翠ではなく、会員が手作りした出雲石(青瑪瑙)の勾玉です。
neko

ミュージシャンの勾玉

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       春一番コンサート2005で唄う天野SHOさん

2005年5月5日服部緑地コンサートに出演していた天野SHOさんの胸元にまがたまみっけ!!
情報では、友人に貰ったものらしい。
あまりの青さに、多分ターコイズではなく、ハウライトの染めとみた!!
でも、本物のターコイズだったら・・・かなりの値打ちものかもf^_^;

ロックベーシストがまがたまって・・・ちょっとミスマッチだけど、白いTシャツに似合って、カッコイイ♪
neko

わだつみのいろこの宮

この絵は、青木繁という画家が描いた作品です。
海幸彦山幸彦を題材にしたものだそうです。
収蔵は、石橋美術館。
この絵の真ん中の神様が勾玉をしています。
5月1日の日経新聞に絵が掲載されています。

やはり神様には、勾玉なのですね・・・。

write:usagi

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