まがたま研究会

勾玉の歴史からお土産物まで!

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勾玉の歴史ⅩⅤ

勾玉に代表されるひすい

日本国内で発見されるひすいの勾玉や大珠などは、江戸時代から知られていたそうです。
現代ではこれらのひすいは新潟県の糸魚川や青海地域のものであると分かっていますが、昭和初期までは大陸から渡来したものと考えられていました。と言うのも、日本国内ではひすいがないと考えられていたからです。1939年6月糸魚川病院に勤務していた小林総一郎院長が糸魚川小滝で緑色の石を義兄である東北大学の河野先生に鑑定を依頼し、ひすいであることが判明し、1939年の岩石砿物砿床学という学術雑誌に掲載されました。
ところが当時、戦争の為ひすい発見のニュースはほとんど注目されませんでした。
第一発見者というと地元ではひすいと知らず、古くからつけもの石にしていた例もあり、さまざまな説があります。
この発見以来、日本の考古学は勾玉や大珠は日本独自のものであるとされるようになりました。
ひすいの成分は、ナトリュウム、アルミニュウム、ケイソ、酸素の4種が主で、緑色のものはクロム、青紫色はチタンを含むもので、硬さは硬度、6~7(水晶で7)とそれほど硬くはないのですが、割れにくさでは、岩石の中ではトップクラスです。加工するのも他の石よりはるかに時間がかかります。その硬いひすいの生い立ちは約3億5千年前、地下20Km~30Kmでできたと考えられます。
ひすいができるには300度から400度の低温と高い圧力が必要なのです。長い年月をかけ、今目にすることができるのです。

ひすい漢字で書くと翡翠となり、これはカワセミと言う鳥の雄と雌をそれぞれ表しています。翡は橙、翠は緑と言う意味がありカワセミの羽根の色に似ていることから中国で翡翠と呼ばれるようになったそうです。ひすいは緑色と思いがちですが、外国で採れるひすいには橙色もあり、その名がつけられたのでしょう。
naoki
 
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勾玉の歴史ⅩⅣ

これまでにミスマルという言葉が何度か出てきました。
このミスマルとは多くの 玉を連ねたものと解釈されています。
では、仏教で使われている数珠との関係はあるのでしょうか?
数珠の起源は「仏説木槵子経(ブッセツモクゲンジキョウ)」に書かれています。
モクゲンジとはムクロジ科の落葉高木で、その種子を数珠玉に用いられたそうです。そのお経の中に書かれている内容にお釈迦様が霊鷲山(リョウジュウセン)におられた時に波流離国(ハルリコク)からの使者にモクゲンジの実を108コ連ねて、これをいつも持って三宝(サンポウ)(仏陀の名、法の名、僧侶の名)を唱えなさいと言われたのが念珠の起源だとされています。
しかし、実際の起源は相当に古く、仏教より古い「火天教(ゾロアスター教)」にも同じような物があり、キリスト教、イスラム教にも酷似した法具があります。と言うのも、ゾロアスター教は今のイランにあたりで、紀元前13世紀頃、開祖ザラスシュトラによってつくられ、紀元前7世紀まで栄えていました。その影響はユダヤ教、キリスト教や初期の仏教にもあると考えられています。
日本に仏教が入ってくるのは538年頃。
それ以前にすでにミスマルはあります!
ということはミスマルと数珠とは直接関係のないものと考えられます。
それではゾロアスター教の使っていた玉を連ねたものとの関わりはあるのでしょうか?
ここで着目すべき事は、ゾロアスター教の考え方です!
ゾロアスター教は唯一神つまり神は1つで絶対的なものと考えられていますが、日本の古神道では八百万の神という表現があり、多くの神がいます。
この大きな違いを超えて、同じ法具として、玉を連ねたものを使うとは考えにくいと思います。
と言う事は、数珠、ミスマル、ブレスレット等、玉と連ねたものは世界中で自然発生的に作られたのではないでしょうか?
色んな民族が、各地で、各宗教で、自然と身に付けた古代の神仏のための道具。
「ただの飾りではない」と再度考えさせられます!!!
naoki


 

勾玉の歴史ⅩⅢ

勾玉の使われ方④
古事記、日本書紀で最初に出てくる石の飾りらしきものは高天原(タカアマノハラ)に住んでいた、イザナギとイザナミの神が天の沼矛(アメノヌボコ)と呼ぶ棒を使って海をぐるぐるとかき回し出来たのが兵庫県淡路島の横に浮かんでいたらしい「おのころ島」!!!
このアメノヌボコに玉が飾られていました。
この棒は言依さし(コトヨサシ)の印として授ける聖器と考えられ、コトヨサシとは、委任すると言う意味。つまり、まかせたぞ…と神々がイザナギとイザナミにこの棒を印として渡した物でした!!!
ここに出てくる玉はどんな玉だったのでしょうか?

次に出てくる石の飾り物は、イザナギが国造りを終えたあと、身につけていた玉の首飾りをゆらゆらと揺らし、「あなたは、高天の原を治めなさい」と言いながら天照大御神にそれを譲ります。
この玉を御倉挙神(ミクラタナ)の神と言うそうです。
ここでもコトヨサシとして使われています。

他には、天照大御神が孫のニニギの命に「豊葦原(トヨアシハラ)の瑞穂(ミズホ)の国を治めなさい」と言いながら勾玉と剣と鏡を渡しています。
ここではただの玉ではなく、勾玉と表現されています。これが三種の神器なのですが、これもコトヨサシの意味ではないでしょうか?
何かを任せる時、石を贈る風習があったと考えられます。

勾玉が使われるのは須佐之男命(スサノオノミコト)が根の国に行く前に姉の天照大御神にあいさつに行こうとした時、スサノオが国を奪おうとしていると思いこんだ天照大御神が全身にたくさんの勾玉をつけています。
これはパワーアップの為?それともお守り?

天の岩戸開きの時にも勾玉が出てきます。岩に隠れた天照大御神に外に出てもらうため、「勾玉のみすまるの珠飾り」を木に取り付け、見せたようです。
天照大御神は勾玉が大好きだったようですネ!!!
naoki 

勾玉の歴史ⅩⅡ

勾玉の使い方③

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rekishi12-1.jpg



写真上は、皇祖皇太神宮(茨城県北茨城市磯原町磯原835)に伝わる古代勾玉のネックレスです。
これには勾玉12コ丸玉36コ、中丸玉5コ、太玉6コ、管玉18コが使われています。
これを見て、海軍エリート技術将校で竹内文書の研究家だった矢野祐太郎(1881~1938年)は、古代の万能の暦を表していると考えたそうです。
勾玉の12は12ヶ月を表し、丸玉の36コは360日を10分の1で表し、中丸玉の5コは祭日で丸玉の360日と祭日5日を足すと、ちょうど1年の365日。
6コの太玉は春夏秋冬、冬至、夏至を表し、管玉の18コは星の運行を示すと考えたのです。
つまり、ネックレスは古代のカレンダー兼、古い計測器兼、スケジュール表等、様々な使い方ができると考えられます。
2000年前の建物も方位を正確に計算され建てられています。ひょっとしてこのネックレスを使って計測したのかも知れません。
でもここで、12コの勾玉!!!
12ヶ月を表すのに使われていると考えられていますが、「なぜこれが勾玉なのか?」が問題になってきます!!!
ここに出てくるネックレスは他の石はすべて丸であるのに、勾玉だけは特殊な形をしています!!!
「ひょっとして角度を測る為?」
勾玉の勾は(コウ)とも読み勾配(コウバイ)つまり角度を表しています。また、直角三角形の短辺のことを勾(コウ)と昔しは言っていました!!!
「太陽か月、または星の位置を角度で示しているのでは?」
・・・となると1つづつが少しずつ角度が異なっているはず…!!!
あ~~!!! 実物を見てみたい!!!
日本書紀、古事記に出てくる勾玉も、いきなりミスマル(石を連ねて作ったネックレス状)という表現で出てきています。最初から勾玉は12コセットだったのかもしれませんねぇ~!!!
八尺(ヤサカ)は大きいと言う意味と考えられていますが、365コの石を連ねると八尺(2m42.4cm)になったのかも知れません!!!
※写真下は現在国内最古(689年)のカレンダーです。

勾玉の歴史 XⅠ

勾玉の使い方②

rekishi11.jpg

写真①

rekishi11-1.jpg

写真②

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写真③

前回で勾玉は神のしるし、又は あかし…!!!と書きました。しかし、それだけではない!!! と思われる使い方をしている出土例があります。
その一つが、大阪府和泉市池上町にある池上曽根遺跡です。
南北1.5Km,東西0.6Km,総面積60万㎡と全国屈指の規模をもつ弥生時代の集落で、この中にある神殿(写真①)は紀元前50年ごろに建てられています。
石オノで切り出された26本の柱から成り立っていて、その1番前の柱の下から勾玉が出土されています。(写真②)
その勾玉は新潟産のひすいである事が判明しています。
時間と距離と手間をかけた一品!!!これをなぜ柱の下に埋めたのでしょうか?
26本の柱のうち、この柱だけが腐っていなかったと言われています。
次に奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡から出土された不老長寿の仙薬「禹余糧(うよりょう)」と言われる褐鉄鋼の中からヒスイの勾玉が出てきています。(写真③) 
これは、紀元前1世紀のものと発表されています。これも外からは見えてないのです!!!
勾玉は薬といっしょに出土される事があります。が、勾玉を薬として飲んだという記述はまだ見たことがありません!!!
ということは…?!
勾玉のパワーを薬に染み込ませようとしたのでしょうか?この時代は平均寿命が20才にもなっていません。しかし、この時代に勾玉や仙薬を持っていた人々…一番調べやすいのが天皇なのですが初代天皇から20代天皇までで100歳生きた天皇が12人、90代が2人居られるのです。
天皇長寿の謎は今も解けていないのですが、歴史学者達のなかでは、古事記、日本書紀は意図的に長寿をでっちあげたものではないとの考え方がほとんどです。
naoki

勾玉の歴史 Ⅹ

勾玉の使い方①
今上天皇と三種の神器で勾玉のことを神璽と表現していると書きました!!!
国の印を国璽、天皇の印を御璽と言う事に着眼すると、勾玉は神様の印鑑?
紙が世界で最初に作られたのは、B.C2500年エジプトのパビレスですが、あまり広がらず、羊の皮に変わっていきます。
次に紙が作られるのはB.C141年の中国ですが、文字を書ける程ではなく、文字が書ける紙としてはA.D105年の蔡候紙(さいこうし)と言われるものです。
日本に紙が伝わったのは610年、高句麗の僧(曇徴)が伝え日本で作られた最古の紙と考えられるのは正倉院にある702年のものです。
あまりにも時代が新しすぎる!!!
700年ごろには、勾玉は身に付けられていないので、紙に印鑑として押した物はないと考えます。
じゃ~・・・ 布は? 
布は縄文時代からあり、古事記、日本書紀にも出てきてますが、印鑑として押してあるものはまだ見たことがありません。そもそも、神が文を書いた物が現存するのでしょうか?
となると…。
「璽」を、「しるし」または「あかし」と考えると、勾玉(神璽)を身に付ける行為は「自分は神である!!!」 と言う主張であったと考えてみてはどうでしょう?
古代の日本ではすべての物に神が宿るという考え方があり、宇宙、大地、水、石、食べ物にも神が宿っていると考えました。
当然、人にも!!!
古事記、日本書紀を見ても神々はとんでもない事をしでかします。
戦ったり、すねたり、暴れたり、泣き続けたり、それでも神は神だったのです。
なんて書いちゃって叱られるかもしれませんね!
「ごめん、ごめん、荒ぶる神たち…」
私が思うのは人には(もちろん現在の人も)その中に神聖がある!!!

どんどん話がそれそうだから、今回はこれにて…
naoki 

勾玉の歴史Ⅸ

八尺瓊(ヤサカニ)の勾玉
勾玉の歴史を語るには、このヤサカニのマガタマを語らぬ訳にはいきません。日本書紀、古事記でいちばん初めに勾玉と表現しているものは、この八尺瓊勾玉になります。
スサノオの乱暴に怒ったアマテラスが天岩戸に引きこもってしまった時、世の中が真っ暗になってしまいます。そこで、神々が集まり策を練り、その中の1つに玉祖命(タマノヤのミコト)が八尺の勾玉の五百箇(イホツ)のミスマルの珠をアマテラスへのプレゼントとして、作ったそうです。つまり、現存する文献上ではタマノヤが世界で1番最初に勾玉を作った人…(神)?と考えられます。
そこで、八尺瓊勾玉とは どんな物だったのでしょう?
八尺とは(1尺…30.3cm)2m42.4cm…とでかすぎる!!!
八尺は大きいと言う意味だけでとらえるか?
前に書いた様に勾玉は漢字が日本に定着する前からあるもの。
つまり、漢字は当て字であると考え、発音で考えると
   ヤ…全てが良い、勢いがある   
   サ…災が去る、栄える    
   カ…陽気盛ん、神の力   
   ニ…陰陽相並び、物の生まれようとする人と和して大きな喜                            となります。
マガタマの意味は前に(名前の由来)で書いています。
ところが…、前文の八尺の勾玉の五百箇のミスマルの珠という文を考えると、五百箇はたくさんのという意味、ミスマル(御須麻流)は多くの玉を貫いて輪にすることから考えると、八尺とは大きなという意味にとるべきなのでしょうか?疑問は果てしなく広がります。
気になることがもう1つ。
古事記には「八尺の勾玉」となっていて瓊の字が入っていない。
日本書紀では「瓊」が入っているのに、古事記には入っていないのです。
この瓊には赤く美しい玉という意味があります。
すると赤いメノオの勾玉だった?そんな??
前にも書いたように、古代ほどひすいにこだわり、ひすいの勾玉がほとんど。
古墳時代になり、やっと水晶や赤メノオの勾玉が出土されるのに、一番最初に文書として出てくる勾玉が赤メノオだなんて考えられない!!!
となるとやはり、あて字?誰かこの謎を解いて下さい…!
naoki

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