まがたま研究会

勾玉の歴史からお土産物まで!

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ちょっと寄り道 パート2 大麻について

勾玉の穴は、やっぱりどう見てもひもを通していたと思いますよネ~!!!金属はまだ使われていない時代からのものですし、みすまる(玉を連てつくったもの)にするのでもやはり、ひもは必要ですよね~。どんなひもが使われていたのでしょうか?
考えられるのが、絹、麻、綿。

絹の生産は、5千年以上前の中国で始まっています。シルクロードの名前からも絹の貿易は盛んでした。日本にも弥生時代には伝わっていましたが、量はそれほど多くなく、出土例もそんなにありません。

綿が日本に入ってくるのは平安時代799年コンロン人(中国西部山岳民族)によって伝えられました。勾玉の時代にはまだありませんでした!

麻は日本では太古の昔から使われていました。日本で一番最初に栽培された植物ではないかと考えられています。
福井県の鳥浜貝塚では1万2千年前の麻の繊維や種が出土されています。日本の古代人の麻への思いは特別なものがあり、天照大御神の御印とされ、邪気を払い除けるおはらいの用具(ぬさと呼ばれ神主さんが手に持って振るもの)として古くから使われ、また伊勢神宮から授与される神符、神札も「神宮大麻」と呼ばれ、大麻が使われています。
ここで大麻と書きましたが、麻と大麻は同じものなのです。麻には色々な種類があり、RAMIE(苧麻 チョマ)LINEN(亜麻 アマ)などは衣類にもよく使われているので聞いた事があると思います。が、ここで出てくる大麻(オオアサHEMP)とは「タイマ」のことなのです…。
そうです、あの、麻薬と同じものです!
タイマと聞いただけで、おそろしいと耳を閉ざしてしまう人も多いと思いますが、この大麻の歴史を調べていくと大きな誤解があることに気付きます。
先に書いたように、米よりはるか昔から栽培され稲が入ってきてからも米よりも良い条件の土地で作られていました。
衣服、食用として、また燃料としての油も取られていました。大相撲の化粧回しや神主さんの衣、弓の糸など神聖な物に使うのはすべて大麻なのです。
ところが敗戦後、アメリカ占領下GHQものとで1948年大麻取締法ができたのです。
1950年に25118人いた大麻農家は4049.2ha、1996年には102人となり12.4haに激減していきます。
現在大麻を作っている農家は、神事用の麻または、研究用のみとなっている様です。
日本の大麻は人体には害はないと言われています。
1950年以降は衣類は化学繊維となり、燃料は石油ほとんどの容器包材は石油製品となってしまいました。
大麻を作る事を規制された日本は大量の資源を海外から輸入しなければならなくなったのと同時に自然環境の破壊が始まってしまいました。
話がどんどんそれてしまいましたが、麻は何か特別な力を持ったものであった事は間違いないと思います。勾玉のひもも大麻(オオアサ)であった事は間違いないと思います。
naoki
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神道家の先生によると・・・

お久しぶりです。
KIRIさんの勾玉の方は・・・何故かどんどん細くなって行ってます(‥ゞ
形も、イメージしていたものからどんどん離れて行っているのですが、どうなってしまうことでしょう(^_-)
多分、本人も何時間磨いたか覚えていないはず。次にレポートできるのは何時になることでしょう!!

最近naoki会長にばかり記事をアップして貰っているので、ここらでちょっと最近読んだ本の中から、まがたまの記述を少しご紹介します。

本の題名は「古神道入門」著者は今年お亡くなりになられた小林美元先生。
下記は『宇宙の法則を象徴する三根元神』と言う項の中から抜粋です。

 宇宙のあらゆるもの、太陽も月も地球も、その他の惑星も球形です。宇宙間の一つの現象としては神器を表現するのは全て玉で表現されています。
 その玉を超古代から古神道では勾玉と言う形で表しています。これは太陽の球形と、上弦、下弦の月というように三日月の形、この日月を合体した象形が勾玉になっているわけです。
 さらに、スパイラル運動をしている宇宙の法則を表現するものとして、勾玉と穴の開いた菅玉をつなぎ合わせて三種の神器の一つである八坂瓊勾玉という首飾りを作っています。

日月の形・・・、何となく納得できるような出来ないようなf^_^;
でも、古代から古神道では、ちゃんと太陽、月、地球、その他の惑星がちゃんと球体で在ったと言うことを知っていたって♪
大地が真っ平らで、不動のものではないってことが判ってたんだ!!
ご先祖様達・・・なかなか凄いかも~!!
neko

ちょっとここらで寄り道…「塩」

今までは石にばかり着目してきましたが、今回は生活の必需品「塩」について考えてみました。
塩は空気や水をもとに人類が生きる為には欠かせないものです。塩を作る歴史は人類の歴史とともに始まったとも言えるでしょう。
日本では岩塩や塩湖などがなく、海水から塩を作るしかありませんが、雨の多い気象条件のため、天日製塩は出来ず、原始時代では藻塩焼(モジオヤキ)と言う干した海藻を焼いて灰塩を作ったのが始まりで、時代が進むと、この灰塩に海水を混ぜこれを煮詰めて塩を作るようになりました。
この時に使う土器が各地から出土されます。
縄文時代後期(B.C.1100)以前のものが茨城県で出土され、縄文晩期には青森、岩手、宮城で出土されますが、弥生時代前期に入ると、瀬戸、淡路、大阪南部、和歌山と移り変わります。
九州での出土は古墳時代前期(A.D300)になり、かなり新しい時代でしか出土されません。
この塩を作る文化の移り変わりだけを見ると、関東→東北→近畿→北九州となります。
勾玉の出土の移り変わりも、これにとても似ています…!これは何を意味するのでしょうか?
古事記では塩推神(シオツチノカミ)、日本書紀では塩土老翁(シオツツノオジ)と書かれている神が塩を作ったとされます。
宮城県塩釜市にある塩窯神社に祭られています。
日本書紀に記された一書によると、事勝国勝長猍(コトカツクニカツナギサ)神が別名塩土老翁でイザナギの子であるとされています。
この神は、日本書紀、古事記に、たびたび登場し、呪術的な事を行った神のようです。
naoki

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